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後主 (陳)[こうしゅ]
後主(こうしゅ)は、南朝陳の第5代(最後)の皇帝。姓は陳、諱は叔宝。後世、亡国の君主として暗君の典型とされる。 == 生涯 ==
=== 即位前 === 承聖2年(553年)、陳頊(後の第4代皇帝宣帝)の長男として江陵に生まれた。承聖3年(554年)に江陵が西魏の侵攻により陥落すると、陳頊は関中に連行され、陳叔宝は穰城に抑留された。天嘉3年(562年)、帰国して建康に入り、安成王世子に立てられた。天康元年(566年)、寧遠将軍の位を受けた。光大2年(568年)には太子中庶子となり、まもなく侍中の位を受けた。翌太建元年(569年)1月に宣帝が即位すると、皇太子に立てられた。太建14年(582年)1月に宣帝が崩御すると、異母弟の始興王陳叔陵が兄の陳叔宝を殺害しようとした。陳叔宝は母の柳敬言や乳母の呉氏に急場を救われ、蕭摩訶が陳叔陵を討ったため、即位することができた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「後主 (陳)」の詳細全文を読む
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